元京大アメフト監督水野弥一氏が高校でノウハウ提供

水野氏、
QBだった川並さんが亡くなった後の対応から、京大アメフト離れが起きたことには、
何も触れてくれません。
水野氏の周囲の人間は、言えないのでしょうか。
日本全国のフットボール界に、大きな影響を与えた事件でした。
このままでは、アメフトは発展する事なく終わってしまうかもしれませんね。
約40年にわたり、京大アメリカンフットボール部の監督を務めた水野弥一さん(71)。昨季限りで勇退し、今年度から追手門学院高(大阪府茨木市)の『スポーツコースアドバイザー』に就任、今度は高校生の指導に当たっている。京大を4度の日本一に導いた名監督に聞いた。(聞き手・上阪正人)
 --高校の指導を引き受けた理由は
 「追手門学院さんから『講師として各スポーツの指導者にアドバイスしたり、生徒にスポーツに取り組む心得を話してほしい』とお話をいただいた。その流れで『高校のフットボール部を日本一にしたい』という方針を聞いて、私も協力しないといけないなと」
 --アメフット部での立場は
 「監督と違って”アドバイザー”だが、グラウンドで練習も見るし、僕の持っている知識やノウハウを提供する」
 --部の実力は
 「4月15日に昨年の全国大会に優勝した大産大高と対戦して、0-40(第2クオーターでコールドゲーム)で敗戦。今は強豪校との力の開きは大きいが、高校生は大学生より吸収が早い。力をつけていくのを見るのは楽しみ」
 --高校生の気質は
 「生徒と話してみるとなかなかに素直。スポーツ推薦で大学に行くことばかり考えず、受験勉強もしっかりやっている。文武両道で非常に好印象なのだが、そのことがフットボールでは”限界”にもなって、なかなか強豪校に勝つのは難しい」
 --大学と高校でチーム作りに違いは
 「練習をする上では、京大の方が条件はいい。たとえ留年したところで、人生に大きく影響してくるわけではないから。大多数の選手が、留年覚悟で4年間はフットボールに集中するのがひとつの強みだった。追手門学院の生徒には、受験勉強をしながらという条件がつく。練習時間はトータルで2時間と短い。戦術などは付け焼き刃でもなんとかなるが、まずはちゃんとアメリカンフットボールをやれるようになるかどうか。一朝一夕にはねえ…」
 --近年は大学での指導も難しかった
 「学生の体育会離れで、2000年代に入っていい選手が集まらなくなった。いろんなプレーのアイデアがあっても、実行するのに必要な選手がいない。素晴らしいクオーターバックがいても、いいレシーバーがいないと『こんなパスプレーやってやろうか』といくら考えても何もできない。そういう意味で、私はここ15年ほどコーチの仕事をしていないのと同じわけです」
 --新たな挑戦になる
 「京大で使えなかったプレーのアイデアを、高校生の指導に生かすことができれば、と考えています。それも楽しみですよ」
 ■みずの・やいち 1940年6月13日、京都市生まれ、71歳。61年に京大入学、アメリカンフットボール部でガードとしてプレー。大学院を経て68年、トヨタ自動車工業入社。71年に退社して米コロラド鉱山大に留学。帰国後の76年に京大監督となり、82年に甲子園ボウル初出場。83年に日大、実業団1位のレナウンを破って初の日本一。昨年限りで勇退するまで、甲子園ボウル優勝6回、ライスボウル優勝4回。

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